「アンフェア」というルール

 篠原涼子主演の「アンフェア」が意外と面白くて、ずっと見ている。
 ドラマとして面白くなる要素がふんだんにあるのは、ある意味当たり前なのだけど、そのみせ方がすごく上手い。

 タイトルの「アンフェア」は、前半では少し真相解明に絡んだものの、後半では単に「一連の事件をつなぐキーワード」にしかなっていない(今のところは)。ただ「アンフェアなのは誰か?」と出てくるたびに、「アンフェアって何なんだっけ」と意識する(番宣ポスターは「アンフェアって、何よ。」だった)。
 本格ミステリ読者からすると、たいていのドラマはもともと「アンフェア」である。論理的な解決のための伏線を提示することより「意外な結末」あるいは「みんなが望む結末」が重視される。
 このドラマでも、いかにも怪しい人物のように描いておいて、その描写は全然関係なかったり、(ネタばれ→)犯人が堂々と俺は犯人じゃない(←ネタばれ)とか言う。こういうの自体はごく普通のドラマと同じはずなのだが、「アンフェア」というキーワードがあることで逆に「この人は怪しそうに描かれているけど、違うのかも」という疑念が強くなる。「アンフェア」というルールであるかのような面白さがあるのだ。

 なんて書いてみたけど、このドラマが面白いこととは、そんなに関係ないかも。
 普段笑顔や明るさがトレードマークの女性が、クールな役を演じるのが好きだったり、自分の正義感ゆえに自分の子供を傷つけてしまうシチュエーションにハラハラしたり(2/28放送分は胃が痛くなりそうでした)、ある登場人物の芸能界的ポジションについて考えさせられたり、普通なら最終回までひっぱりそうな犯人の正体があっけなく判明して、逆にこのあとどうなるの?と興味を引かれたり、本当に普通にドラマとして面白いと思っているのでした。