『目白雑録(ひびのあれこれ)(金井美恵子)』

目白雑録 (ひびのあれこれ)

 「ひびのあれこれ」というサブタイトル(あるいはふりがな?)からは、著者の日常生活におけるエピソードや思ったことが書いてあるのかと思ったけれど少し違った。生活というより、著者が日々読む本や雑誌や新聞、あとたまにテレビでの誰かの言動について思ったことが中心(それが金井美恵子にとって「生活」なのだろう)。つまり描かれる対象は、一部の人、とくに金井美恵子読者にはとても一般的な話題であり、だから辛辣な指摘・意見が刺激的で楽しめるけど、一般的なエッセイ(室井滋とかのあたり)を期待して読む人にはあまり向いていない。
 エッセイ集というのは本来、読むほうも書くほうも軽い気持ちで読むものが多いと思うけれど、これは人によっては下手な「評論集」よりもぐっさりと重たいのではないか。
 のではないか、というのは、私にとっては違うからである。はっきり言って、著者が批評している…のではない、と著者が言ってるので言い換えれば、文句や悪態をつけている対象の文章や、映画について私はほとんど知らないし、また文句や悪態の説明に引用されている文章や映画については、いっそう知らない。ははは。
 なんとかと言う人がそんなくだらないことを言っているのかー。へー。って程度には新鮮ではあるし、「なんとかと言う人」が文学界一般にどういう立ち位置の人か、ぐらいはわかるので小気味よいのは確かだ。ただ、なんだか重箱の隅をつついた揚げ足取りめいた感じがするところもあって、全て絶賛できるわけではない。

 最初の方にあるエピソードで「自分の作品の書評を書いている人が、作中に表れる服飾用語を『わからない』とわりきって調べもしない」ことについて嘆いていて、そのわりにこのエッセイでは、あちこちに「なんとかという作家が(忘れた)」のような言い方が出てくる。もちろん「書評」と「エッセイ」が違うから、という言い訳はわかる。また、「書評」の方(私は未読)にもしかしたら他にも気に入らないところがたくさんあって一層気分を害したのかもしれない。でも、おそらく辛辣さ具合ではこのエッセイがずっと上だろうことを考えると、それだけのことを言うならもう少し丁寧な引用や説明をするのがフェアなんじゃないのかなあ、という気がしたりする。
 「噂の娘」は読んでないけど、並んでいる服飾用語が「女性なら誰でも知っている」とは全然思えないし、調べるのはむしろ丁寧な人だろう。書評を書く人間、しかも金井美恵子作品の書評をしようという人間が調べなかったこと、あるいはそれを堂々と書いていることはまあ、落ち度といえば落ち度なのかもしれないけど、一般読者には辞書を引く義務なんてないと思う。ただ、作品が好きでその世界をじっくりと理解したいなら調べるのは有効だろうし、その方が作者は喜ぶのも確かだけど。